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第23話「私は『リスクを取らない』のではなく、『取るリスクを選ぶ』ようになった」

目次

はじめに

第22話では、いくつもの投資で失敗したあと、一度立ち止まって、自分が何にお金を投じてきたのかを振り返ったことを書きました。

👉第22話「それでも、なぜ私は投資を続けたのか」

FXで大きな損失を出し、その後に手を出した投資案件でも、多くのお金を失いました。

それでも私は、投資そのものをやめませんでした。

では、何が変わったのでしょうか。

「もう危ない投資はしない」

「これからは安全なものだけに投資する」

そう考えるようになったのでしょうか。

実は、少し違います。

今振り返ると、私が少しずつ考えるようになったのは、

リスクを取らないことではなく、どのリスクを取るのかを自分で選ぶこと

でした。

そして実は、私は投資を始めるずっと前に、仕事を通じて「リスク」について考える機会がありました。

私は投資を始める前に「リスク」を学んでいました

以前、技術開発に関わる仕事をしていた頃、ある業務を通じて、新しい技術を社会に普及させていく際のリスクについて考える機会がありました。

そこで学んだことの一つが、

「危険なもの」と「リスクが高いもの」は必ずしも同じではない

という考え方でした。

たとえば、リスクを考えるとき、

リスク=毒性 × 暴露量

という考え方があります。

どれだけ毒性のあるものでも、まったく接触しなければ、実際に受けるリスクは小さくなります。

逆に、毒性そのものがそれほど強くなくても、大量に、あるいは長期間さらされれば、リスクは大きくなります。

もちろん実際のリスク評価は、これほど単純なものではありません。

それでも私にとって、

「何が危険なのか」だけではなく、「どれだけそこにさらされるのか」を考える

という発想は、とても印象に残りました。

リスクをゼロにすることが、必ずしも正解ではない

さらに仕事を通じてリスクについて考えていくと、もう一つ興味深いことを知りました。

社会の中にあるリスクを、すべてゼロにすることはできません。

安全性を高めるにはコストがかかります。

限られた資源の中で、

どこまで安全対策を行うのか。

どこまでのリスクを許容するのか。

どのリスクを優先的に減らすのか。

そうした判断が必要になります。

さらに驚いたのは、人命に関わるリスクでさえ、社会的な意思決定では、対策に必要な費用や得られる便益などとの関係で評価されることがあるということでした。

最初に知ったときは、かなり違和感がありました。

しかし、考えてみれば当然なのかもしれません。

あらゆるリスクをゼロにしようとすれば、社会は動かなくなります。

だから、

リスクをなくすのではなく、リスクを理解し、評価し、どこまで受け入れるのかを決める。

それがリスク管理なのだと学びました。

もう一つ学んだ「Hype」という考え方

その頃、もう一つ非常に興味を持った考え方があります。

それが、

Hype(ハイプ)

です。

新しい技術が登場すると、最初はその技術を理解している人だけでなく、理解していない人からも大きな期待が集まります。

「この技術が世界を変える」

「これまでできなかったことが可能になる」

期待が期待を呼び、様々な人が集まり、研究開発投資も増えていきます。

そして、その熱狂に引き寄せられるように、さらに多くのお金が集まってきます。

ここで重要なのは、そこにいる全員が、その技術を十分に理解しているわけではないということです。

技術そのものを理解し、その可能性と限界を考えたうえで投資する人もいる。

一方で、

「これから大きく伸びるらしい」

「世界を変えるらしい」

「みんなが投資している」

という期待だけで、お金を投じる人もいます。

つまり、自分にはまだよく見えていないものに投資してしまう人もいるということです。

価格が上がっている間、それはあまり問題になりません。

むしろ上がれば上がるほど、

「やはり自分の判断は正しかった」

と思うようになります。

しかし、Hypeはいつまでも続きません。

時間が経つと、期待されていたほど早く技術が普及しなかったり、思っていたほど市場が大きくならなかったり、実用化までにはまだ時間が必要だということが分かってきます。

そして価格が下がり始める。

このとき、「見えないもの」に投資していた人ほど不安になります。

なぜなら、自分が何に投資したのかを、自分自身で十分に説明できないからです。

価格が上がっているときには気にならなかった、

「そもそも、この技術には本当に価値があるのか」

「いつ実用化されるのか」

「この会社は本当に利益を出せるのか」

という疑問が、一気に表面に出てきます。

そして、

「よく分からないけれど上がっているから買った」

という人ほど、

「よく分からないけれど下がっているから売る」

ことになります。

私は、Hypeが崩れていく背景には、こうした人間の心理もあるのではないかと思っています。

一方、その技術や事業を理解しているからといって、持ち続けることが正しいわけではありません。

期待していた前提が崩れたのであれば、売るべきでしょう。

しかし、自分が何に投資しているのかを理解していれば、

価格が下がったという事実と、投資する理由そのものが失われたことを、分けて考えることができます。

ここには大きな違いがあります。

今振り返ると、これは私が後に経験する投資の世界と驚くほどよく似ています。

新しいものが登場する。

大きな物語が生まれる。

お金が集まる。

期待が実態より先に走る。

そして、価格が上がっている間は見えなかった「理解しているつもり」が、下落したときに初めて試される。

当時の私は、それを仕事を通じて学んでいました。

まさかその後、自分自身が投資家として何度もHypeの中に入り、

「自分は本当に、投資しているものを理解しているのか」

と問うことになるとは思っていませんでした。

仕事では分かっていたのに、自分のお金ではできなかった

ここまで読むと、

「それだけリスクやHypeについて知っていたなら、なぜ投資であれほど失敗したのか」

と思われるかもしれません。

私自身、そう思います。

仕事では、

リスクとは何か。

不確実性をどう考えるのか。

どこまでなら許容できるのか。

期待が実態から離れていないか。

そんなことを考えていました。

ところが、自分のお金になると、まったく別でした。

2016年、私はFXで大きな損失を出しました。

👉第2話 なぜ私はFXで大損失したのか

その後も、さまざまな投資案件にお金を入れていきました。

👉第19話「投資案件で2,700万円を失った理由|私が見誤った「儲かる構造」」

そして2017年。

仮想通貨市場が熱狂する中で、私自身も「ブロックチェーンが世界を変える」という大きな期待の中にいました。

👉第18話「仮想通貨バブルで私は「夢」を買っていた|2017年の投資体験」

Hypeという現象を知っていた人間が、自分自身もまたHypeの中にいたのです。

今振り返ると、少し皮肉です。

知識として知っていることと、自分の行動に使えることは、まったく別なのだと思います。

過去の失敗を並べてみると、共通点が見えてきた

これまでこのブログでは、私が経験したさまざまな失敗について書いてきました。

FX。

海外の投資案件。

仮想通貨。

転売の仕組みを使った投資。

キャッシュバック型のネット通販ビジネス。

👉第21話「私は『儲かる話』ではなく、『儲かる構造』を見るようになった」

👉第22話「それでも、なぜ私は投資を続けたのか」

他にもたくさんの失敗をしました。

一見すると、それらはまったく違うものです。

しかし、一度すべてを並べて考えてみると、ある共通点が見えてきました。

私は、自分のお金がどのような仕組みで増えるのかを、十分に説明できるもの、できないものがあったのです。

「これから大きく成長する市場です」

「世界中に広がります」

「毎月これくらいの利益が期待できます」

「参加者が増えれば大きな収益になります」

そうした説明を聞いて、

「なるほど」

と思っていました。

でも、本当に理解していたのかと聞かれれば、違います。

私が失敗した案件のほぼすべてに共通して言えることが、

「誰かから説明されたストーリーを理解したつもりになっていただけ」

だったのだと思います。

投資にも「暴露量」という考え方があるのではないか

そこで、以前仕事で学んだリスクの考え方が、ようやく自分の投資とつながってきます。

リスク=毒性 × 暴露量

もちろん、この式をそのまま投資に当てはめることはできません。

でも、考え方はよく似ています。

どれだけ値動きの激しい投資対象でも、自分の資産のごく一部しか投資していなければ、失敗したときの資産全体への影響は限定されます。

逆に、一見それほど危険に見えない投資でも、資産の大部分を投入してしまえば、失敗したときの影響は大きくなります。

つまり、

「何に投資するか」だけではなく、「どれだけ投資するか」もリスクを決める。

過去の私は、この「暴露量」の「量」にあたる部分を十分に詰め切れていませんでした。

良いと思えば、ある一定のお金を入れる。

期待できると思えば、さらに追加する。

その投資対象がどれくらい危険なのかだけではなく、

それが失敗したとき、どれくらい投資したから、自分の資産全体にどれほどの影響が出るのか。

そこまで考える必要があったのです。

リスクには「大きさ」だけではなく「速さ」がある

投資を続けていく中で、私はもう一つ感じるようになりました。

それは、

リスクには「大きさ」だけではなく、「速さ」がある

ということです。

これは学問的な定義ではありません。

あくまで、私自身がいくつもの投資を経験して感じるようになったことです。

FXは、とにかく速い。

相場が大きく動けば、昨日までの状況が数時間でまったく変わってしまうことがあります。

特にレバレッジをかけていれば、

「少し様子を見よう」

「もう一度考え直そう」

と思っている間にも損失が膨らんでいきます。

場合によっては、自分が考え直す時間すら与えてくれません。

私がFXで大きな損失を出したときも、この「速さ」に対応できませんでした。

仮想通貨の世界も速かった

私が経験した仮想通貨、特にICOの世界も非常に速いものでした。

期待が一気に膨らむ。

資金が集まる。

価格が上がる。

それを見た人がさらに入ってくる。

HypeがHypeを生んでいきます。

ところが、熱狂が冷めるときも速い。

数か月前まであれほど注目されていたものが、いつの間にか誰からも話題にされなくなる。

考えている間に、景色そのものが変わってしまうことがあります。

もちろん、そこで大きな利益を得られることもあります。

私自身、それを経験しました。

しかし、

大きなリターンを生み出す「速さ」は、損失を生み出すときにも同じように働く。

このことを、私は身をもって知ることになりました。

株式投資の時計は、少しゆっくり流れる

それに比べると、私には株式投資の時間は少しゆっくり流れているように感じます。

もちろん、株価そのものは一日で大きく動くことがあります。

暴落もあります。

決算一つで、株価が大きく下がることもあります。

それでも、企業そのものは一日で別の会社になるわけではありません。

売上を見る。

利益を見る。

決算を確認する。

市場が伸びているのかを見る。

競争環境が変わっていないかを見る。

そして、

自分が考えていた投資仮説は、本当に崩れたのか。

それを考える時間があります。

FXやICOと比べると、私にはこの「考える時間」が長く感じられます。

この違いは、とても大きいと思っています。

不動産の時計は、さらにゆっくり流れる

そして不動産になると、私には時間の流れがさらにゆっくり感じられます。

賃料がどうなるのか。

入居状況がどう変わるのか。

建物がどう老朽化していくのか。

周辺の不動産価格がどう変わるのか。

多くの場合、それらは株式よりもさらに長く、10年、20年という長い時間をかけて変化していきます。

もちろん、

ゆっくりだから安全というわけではありません。

不動産には、売りたいと思ったときにすぐ売れないという大きな問題があります。

株式なら売却ボタンを押せば市場で売ることができますが、不動産はそうはいきません。

時間がゆっくり流れる代わりに、逃げようと思ってもすぐには逃げられない。

これもまた、別の種類のリスクです。

投資には、それぞれ違う「時計」がある

FX。

仮想通貨。

株式。

不動産。

私はそれぞれを経験する中で、

投資には、それぞれ違う時計がある

と感じるようになりました。

同じ1,000万円を投じるとしても、同じリスクではありません。

何に投資するのか。

どれだけ投資するのか。

そして、

そのリスクは、どれくらいの速さで自分に襲いかかってくる可能性があるのか。

これもまた、私にとって「取るリスクを選ぶ」ということの一部になりました。

私は「リスク」を取っていたのではなかった

そして、過去の失敗について考えていく中で、もう一つ気づいたことがあります。

当時の私は、

「投資なのだからリスクがあるのは当然」

と思っていました。

確かに、それ自体は間違っていません。

しかし、今なら少し違う言い方をします。

私はリスクを取っていたというより、

自分では測れないリスクを、他人に預けていた。

これが、私の失敗の本質だったのではないかと思います。

運営会社が予定通り事業を進めてくれる。

紹介者が言っていることは正しい。

利益商品がこれからも供給される。

新しい参加者が増えていく。

プラットフォームは拡大していく。

その前提が崩れたとき、自分では何もできません。

しかも、その前提が崩れつつあるのかどうかさえ、外からはよく分からない。

それでも私は、

「投資にはリスクがあるから」

という言葉で片付けていました。

でも、それは、かつて仕事で学んだ「リスク管理」とは違うものでした。

株式投資だって、十分に危ない

ここで誤解してほしくないのは、

「だから株式なら安全だ」

と言いたいわけではないことです。

株式だって十分に危険です。

株価が30%下がることもあります。

場合によっては半分以下になることもあります。

どれだけ有望に見える企業でも、競争環境が変われば成長が止まります。

市場の期待が高すぎれば、業績が伸びていても株価が下がることさえあります。

それでも私にとって株式投資には、それまで経験してきた投資案件との大きな違いがありました。

企業なら、

何を売っているのか。

誰が買っているのか。

売上はいくらなのか。

利益はいくらなのか。

市場は拡大しているのか。

競争相手は誰なのか。

少なくとも、自分で調べることができます。

そして、

なぜ私はこの会社に投資するのか。

何が起きたら、この投資判断は間違いだったと考えるのか。

それを自分で決めることができます。

もちろん、その判断が間違うことはあります。

でも、

間違った理由を自分で検証することができる。

私にとって、これは非常に大きな違いでした。

「損をする可能性」と「分からないものに賭けること」は違う

たとえば、ある企業の株を買ったとします。

その会社が属する市場はこれから拡大する。

売上も伸びる。

利益も増える。

その結果、株価も上昇する。

私はそう考えた。

しかし実際には、競争が激しくなり、利益率が低下して株価が30%下落した。

これは失敗です。

でも、

なぜ失敗したのかは分かります。

市場の成長を読み違えたのか。

競争相手を過小評価したのか。

利益の伸びを楽観的に見すぎたのか。

自分の投資判断を振り返ることができます。

一方で、

「運営会社がうまくやってくれるはず」

「高い利回りが続くはず」

「参加者が増え続けるはず」

というものにお金を預けてしまうと、その前提が崩れたときに、自分では検証することさえ難しくなります。

この二つは、同じ「リスク」という言葉で括られます。

でも、私にとってはまったく違うものになりました。

損をする可能性があることと、分からないものにお金を賭けることは、同じではありません。

「安全な投資」を探すのをやめました

投資で大きな失敗をすると、安全なものを探したくなります。

私もそうでした。

しかし、かつて仕事で学んだリスクの考え方を、自分の投資に重ねてみると、

「安全な投資を探す」

という発想そのものが少し違うのではないかと思うようになりました。

リスクをゼロにするのではない。

どんなリスクがあるのかを理解する。

どれだけそのリスクにさらされるのかを考える。

そのリスクが、どれくらいの速さで顕在化する可能性があるのかを考える。

そして、

そのリスクを取るだけのリターンが期待できるのかを考える。

ずっと昔に仕事で学んだことが、ずいぶん遠回りをして、ようやく自分の投資につながってきたのだと思います。

それでも、私は何度も間違えました

もちろん、こう考えるようになったからといって、その後すべての投資がうまくいったわけではありません。

企業の成長を読み違えることもありました。

買うタイミングを間違えることもありました。

売るタイミングを間違えることもありました。

そして、相場が熱狂すると、その熱狂に自分自身が引っ張られることもありました。

今でもあります。

ただ、一つだけ大きく変わったことがあります。

失敗したときに、「なぜ失敗したのか」を自分で説明できる投資をするようになったことです。

予想が外れれば、それは自分の判断です。

読み違えたなら、自分の分析が足りなかった。

大きく買いすぎたなら、自分が取りすぎたリスクだった。

期待しすぎたなら、自分もHypeの中にいた。

その方が、私にはずっと納得できます。

リスクは、なくすものではなく、選ぶもの

私は投資を始めるずっと前に、仕事を通じてリスクについて学びました。

リスクはゼロにはできない。

だから評価する。

どこまで許容するのかを考える。

必要なら暴露量を減らす。

そして、期待が実態から離れていないかを見る。

それなのに、自分自身の投資では、その考え方を十分に使うことができませんでした。

FXで大きなお金を失いました。

その後の投資案件でも、多くのお金を失いました。

ずいぶん高い授業料を払ってから、私は昔学んだことに戻ってきたことになります。

リスクは、なくすものではなく、選ぶもの。

そして、

どうせリスクを取るのであれば、自分が理解できるリスクを取りたい。

そう考えるようになりました。

何に投資するのか。

どれだけ投資するのか。

どれくらいの時間軸で投資するのか。

何が起きたら、自分の考えが間違っていたと判断するのか。

それを自分で考える。

もちろん、自分が理解していると思っていること自体が間違っている可能性もあります。

だから調べます。

考えます。

そして、自分の考えが間違っていないかを何度も確認します。

それでも最後は分かりません。

投資ですから。

でも、それでいいと思っています。

自分で考え、

自分で選び、

自分でリスクを取る。

私にとっては、ここからが本当の意味での「投資」の始まりだったのかもしれません。

次回――では、何を見て投資先を選ぶのか

リスクについて考え直した私は、次に別の疑問を持つようになりました。

では、企業の何を見れば、その成長を判断できるのだろうか。

株価が安いから買うのか。

有名な会社だから買うのか。

PERが低いから買うのか。

それとも、もっと別のものを見るべきなのか。

この問いが、やがて私の投資先の選び方を大きく変えていきます。

そして、その先でもう一度、

Hype

という言葉に戻ってきたいと思います。

今の私は、新しい技術や巨大な成長期待とは無縁の投資をしているわけではありません。

むしろ、その逆です。

だからこそ、

Hypeから逃げるのではなく、Hypeの中で何が現実なのかを見極める。

それが、過去に大きな失敗をした私にとって、とても重要になりました。

次回はまず、私が「株価」よりも「利益の成長」を見るようになった経緯について書いてみたいと思います。

第24話 AI半導体株を分析して買っても、熱狂を避けられなかった|株価より利益成長を見る

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この記事を書いた人

長年、半導体分野の技術開発に携わった経験を持つ会社員投資家です。昼は会社員、夜と週末は投資の成功と失敗を振り返りながら、半導体・AI企業の成長構造や売買判断について書いています。

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